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差別を助長する「抗議のパラドックス」 [Archives]

何から何まで間違ってる。

    

レイザーラモンHG仕様の「黒ひゲイ危機一髪」
セクシャルマイノリティー教職員ネットワークって
団体が目くじら立てて発売中止を求めてる。
以下、その言い分を引用。

   ×   ×   ×   ×

同性愛者およびそれを連想させる人物を樽に入れ、
剣で突き刺して「楽しむ」という玩具の発売は、
同性愛者に対する差別である。

玩具で遊ぶ子どもたちに、同性愛者は差別して良い
のだという意識を植え込む恐れのある玩具である。

現在、我が国には「同性愛者は異常な存在だ」という
社会的偏見のもと、 自己の存在を受け入れることが
できずに苦しんでいる同性愛者が多数存在します。

また、同性愛の子どもたちの多くは周囲から「ホモ」
「おかま」と揶揄され、いじめの対象にされ、また、
自らの性的指向に悲観して自殺を図る子どもたちも
多数おります。

この社会には残念ながらさまざまな差別、社会的偏見が
存在しています。 今回発売が予定されております玩具は
明確に「ゲイ」を打ち出しているものです。

もし樽の中に入れられる存在が同性愛者ではなく
障害者や在日コリアンだったとしたら、そしてその人たちが
入っている樽に剣を突き刺して「楽しむ」玩具があったと
したら、そのような玩具を貴社は発売なさるのでしょうか。

   ×   ×   ×   ×

言い分自体はまぁごもっともに見える。
取る者によっては「差別」や「偏見」と捉えかねないモノ
の排除を目指すPolitically Correctな運動の典型だ。
「ハイそうですか」と同調するのが無難な感じ。

では、だからと言ってこの玩具を発売中止に追い込めば
それで問題は解決するのだろうか?

「同性愛者」というマイノリティー集団が最終的に得る効用
を考えると、実はこの抗議は何ら生産的じゃないどころか、
かえって「同性愛」に対する偏見や差別を助長するだけの
「戦略的失敗」に他ならないと思うのだ。

まず「差別してよいのだという意識を植え込む」と言うけど
別に同性愛に限らず、あらゆる種類のマイノリティーに対して
大多数の人間が抱く違和感って、大人が子供に「植え込む」
コトで形作られるモンじゃねーと思うのだ。

例えば、同性愛的な指向を持たない3〜4歳の男の子は
「お人形」よりも「兵隊」や「戦闘機」のおもちゃを欲しがる。
親がどんなに「ままごと」を勧めても残酷な「闘い」を好む。

逆にホモセクシャル的指向を持つマイノリティーの皆様は
子供の頃から「黒ヒゲ」より「お人形」が好きだった自分を
思い出すケースの方が多いんじゃねーのか?

親や環境が「同性愛」の子供を作り出すとは思えない。
多分それは「植え込み=学習」で発現する性質じゃなくて
「持って生まれた傾向」なのだ。
同じように「黒ひゲイ」が子供に「差別意識を植え込む」
って発想も単なる幻想じゃねーのか?

所詮おもちゃとか低俗なテレビ番組とかお笑い芸人って
その子供の生まれ持ったパーソナリティーを発現させる
「引き金」に過ぎない。それを無くせば問題が解決する
ってのは「因果関係の履き違え」だと思うのだ。

さらにそこから「もって生まれた人間の性質」を考えると
一般に大多数の人間は同じタイプの人間と群れたがり、
タイプの違う少数派を排除する本能的な傾向がある。

「マイノリティー」はそれ故、自らが排除されやすい状況
にあると充分に自覚した上で行動しなきゃダメだ。
「黒ひゲイ」に抗議行動を起こしてる同性愛者団体は
その点で戦略的に間違ってる。

大体、殆どの人間は「黒ひゲイ」から同性愛への差別
なんてところにまで連想が届かない。
逆にそんなコトを言い出す同性愛者の方が自意識過剰
じゃねーのか?重箱の隅をツツきまくってコトを荒立てて
勢力を誇示するタチの悪い圧力団体にも見えてくる。

俺もたまに「バカは死ね」なんて言ってるから
抗議やら非難やらをよく浴びるのだが、何を隠そう、
実はその手合いは自分をバカだと思ってるからこそ、
俺の物言いに腹を立てるのだ。

自分をバカだと思ってないヤツは俺に抗議しない。
一緒にバカを笑ってる。
その意味で俺は「バカのリトマス試験紙」なのだが
「黒ひゲイ」に腹を立ててる奴らにもそれとよく似た
アタマの悪さを感じる。

刺されて吹っ飛んで笑われてるのは
「レイザーラモンHG」であって、カミングアウトするか
しまいかウジウジ悩みながら傷をナメ合う同性愛者
のコトまでいちいち考えてると思ったら大間違いだ。

なのに「被害者意識」丸出しで腹を立てやがる。
だからダメなのだ。

中でもダメなのは「マイノリティー」つながりで
「障害者」まで持ち出して「弱者」としての位置づけ
を正当化しようとする態度。
論理の飛躍にもほどがあるんじゃねーか?

同性愛者が生きていくのは障害者ほど困難じゃない。
障害者がパイロットやプロのサッカー選手になるのは
極めて難しいが、別に同性愛者はそうじゃない。

セクシャリティー以外、殆どの場面で支障はない。
なのに抗議する同性愛者は「被害者意識」丸出し。
しかも「障害者」まで論理の盾に持ち出しやがる。

それは逆に障害者に対して失礼だ。
障害者の中には「弱者」として扱われるのを拒んで
力強く生きてる人間もたくさんいるからだ。

「マイノリティー」と「弱者」はイコールじゃない。
一緒くたに「弱者」扱いされて社会から負け犬扱い
されたくなんかねえハズだ。

加えて言っとくと「同性愛者は寛大に扱え!」と
大多数の人間にはかなり抵抗感の大きい難儀な
要求を平気で突きつけておきながら、テメエだけ
は他愛のない冗談にまで過剰反応して目くじらを
立てられる「心の狭さ」って、一体何?

そーでなくても現代はかつてないほど同性愛が
「心の広い社会」から認められてる時代なのだ。
そこでマイノリティーが偏狭さを剥き出しにして
社会に受け入れられるハズがない。

だから反感買って余計嫌われるのだ。
そして「偏見」と「差別」はより根深くなる。
これが差別を助長する抗議のパラドックスだ。

どだいマジョリティーと全く平等にマイノリティー
を扱わせようって発想からしてノーテンキ過ぎる。
全くの絵空事だ。両者は決して相容れない。

マイノリティーはマイノリティーなりに自分が社会
から受け入れがたい存在であるコトを自覚した上で
違う戦略で戦わなければいかんのだ。
多分、戦略を狂わせてるのは「怒りの感情」だ。
ではその怒りは一体どこから来るのか?

思うに、実はこの抗議団体が訴えてるテーマは
単なる「お題目」で、ホントの怒りの矛先は全く
別の所にあると俺は感じてる。

    

単純な話。怒りの根源はレイザーラモンHGが
恐らく正真正銘の「ゲイ」じゃないって点だ。
とりわけモノホンの同性愛者にゃあ「ニオイ」で
それがわかるのだろう。

ニセモノが同性愛をネタに笑いを取ってる。
モノホンの人たちが「バカにされてる」と感じる
のは想像に難くない。

だったら正面切って「アイツはニセモノだ!」
と糾弾でもすりゃいいモノを、全国的ブームに
になっちまってるから、その勇気もなかった。
で多分、シッポ掴める格好のネタが出てくる
まで、ずっと手ぐすね引いて待ってたのだ。

しかしHGブームは、もう終わりつつある。
行動が遅すぎるって点でも戦略的に失敗。

誰もマイノリティーとしての「同性愛者」なんて
真剣に考えることもなく、一般大衆の記憶に
残るのは「フォ〜!!」のかけ声だけ。
同性愛者たちにはあのレイザーラモンHGの
強烈な絵ヅラのイメージだけが遺される。

どの道、悩める同性愛者は誤解されたイメージ
に過剰な「被害者的自意識」を抱き続けて、
ポジティブな同性愛者はHGのネタで周囲の
笑いを取り、たくましく社会に根を張っていく。

結論として社会は全く変わらない。
とどのつまり、抗議そのものが本質的に不毛。
「政治的に正しい」とか間違ってるとか以前に
腹を立てたままやり場がなくなっちまってる
そのエネルギーのムダが最大の問題なのだ。


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