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Reminder #3:The Meaning Of Silence [Archives]

中途半端な沈黙にさしたる意味はない。
単にハナクソな駄文ダラダラ書き散らす
のに飽きてただけ。

沈黙は永遠に続いてこそ意味がある。
「永遠の沈黙」に勝る言葉は存在しない。
残されし者にできるのは決して語られぬ
「沈黙が持つ意味の解釈」のみ。

31歳ガン漂流

31歳ガン漂流

  • 作者: 奥山 貴宏
  • 出版社/メーカー: ポプラ社
  • 発売日: 2003/11
  • メディア: 単行本


奥山貴宏氏が沈黙に入って今日で満一年。
単に「覚えている」と言いてえ為だけに、
テメエの言葉は嘘じゃねーと証明してえ
が為だけに、またゴタク並べてみる。

言葉もノイズならば「中途半端な沈黙」も
「音のないノイズ」だ。何かしらの意味を
そこにこじつけるなら、至極単純な事実に
気付いちまったってコト。

一言で言えば、今や「言葉=情報」全てが
ノイズでしかねえってコトなのだ。

折しも先頃、やはりあの世に逝っちまった
スタニスワフ・レムはこう説いてる。

虚数

虚数

  • 作者: スタニスワフ レム
  • 出版社/メーカー: 国書刊行会
  • 発売日: 1998/02
  • メディア: 単行本


「百万人もシェークスピアがいたとしたら、
 彼らの声は結局のところ、
 大草原で野牛の群が発する声や
 海の大波が立てる音と同じような騒音、
 狂ったような喧騒になってしまう(中略)
 無数の意味がたがいに衝突しあうと、
 思考に名誉をもたらしてくれるどころか、
 逆に思考を破滅させてしまうのである。
 そのような恐るべき宿命に直面したとき、
 もはや沈黙だけが創造者・読者盟約の
 救いの方舟となるのではないだろうか?」

「シェークスピア百万人」ならまだマシで、
今や吐いて捨てるほど存在するクズどもが
「自分なりの意見」みてえなのをブログに
書きつけて中途半端な「自分探し」。

俺自身もテメエの言葉に多少なりとも
「意味めいたモノ」があるのだと思いこみ
たがってた。思い上がりも甚だしい。

全ては「前にも誰かがどこかで言ったコト」。
個性とかオリジナリティなんてありゃしねえ。
今やこの情報洪水の中じゃ「言葉=情報」の
全てが「ノイズ」でしかありえねぇのだ。

だからこそレムは沈黙を宣言し、実行した。
『虚数』については前にも書いてるのだが、
小説家であるレム自身が「物語を語りたがる」
欲望を抑えると宣言し、辿り着いたのがこの
「脱小説=メタフィクション」の境地だった。

「小説」という手法を放棄して、架空の本の
「序文」として自らの構想のエッセンスだけ
を最小限の言葉で記す手法を模索したのだ。
それが「情報洪水時代の物書きのモラル」
じゃねーのかと。

実際それまで数々の小説を著してきたレムは
『虚数』以降、沈黙の度合いを深めていった。

だからレムが死んだと聞いた時も、何の感慨
も抱かなかった。なぜならレムは死ぬ前から
「沈黙こそが最善」と達観してたのだから。
この世を去ってはじめて、その沈黙が永遠と
なっただけ。

オトシマエの付け方としてパーフェクトだ。
ここまで透徹したエレガントな帰結はない。

ヴァニシングポイント

ヴァニシングポイント

  • 作者: 奥山 貴宏
  • 出版社/メーカー: マガジンハウス
  • 発売日: 2005/04/14
  • メディア: 単行本


で、そのスタンスは最期に処女作を遺して
逝った奥山氏のいわば対極にあると言える。
はて、どちらが正しいと言えるのか…?

…とか何とか、何を隠そう、正直に告白する。
俺はそんなコト考えながら、人の死を「ネタ」
にして遊んでるのだぁ〜!!

ホントに嫌なら目ェ背けてるハズだろうし、
ホントに悲しけりゃ言葉も出ねえハズだろ?
楽しいからやってるのだ。だから他人事でも
「カメラを前に平気で泣ける」のだ。
それを「ノイズ」と言わずして何と言う?

所詮「ノイズ」だからついでに言っちまおう。
脳天気な俺はその非道な自分を全肯定する。
自分大好き!テメエに酔ってるオレ万歳!

誰かが死んだ時、それっぽく悲しんだフリして
泣いて忘れ去るのが世間一般の言う「人の道」。
そこを俺は大手を振って踏み外してえのだぁ。

例えば去年俺の身の回りじゃ、奥山氏の他にも
高校の同期が1人死んでる。

    

それほど交流が深い相手じゃなかったのだが、
仲間内で会う度、事ある毎に俺はそいつの葬式
をネタにして敢えて喋ってる。

    

「未だに謎なんだよ。アイツの棺の中になんで
 テレビのリモコンが入ってたんだろ…?」

故人が特段テレビ好きだったとも思えねえ…
大体リモコンは入ってたけどテレビはねえし…
そもそもリモコンは棺に入れても燃やせねえ…
「奇妙なリアルさ」を厳粛な死が増幅する。

それをネタにする度「不謹慎」だと言われる。
でも、それがネタにできねえぐらいなら、俺は
「不謹慎」だと糾弾されたい。

なぜなら俺には「棺の中のリモコン」だけが
そのままじゃ消え去ってしまうだろう縁遠い
故人の記憶を引き戻す道具だ。殆どの奴は
「ふざけた性根を単に自己正当化する言い訳」
だとそれを咎めるだろうけど。

でもその行為は芸能人が死んだ時に悲しげな
BGMとかかけて「誰でも死んだらいい人」に
安直に祀り上げといて、その実、「お涙頂戴」
という娯楽のネタを提供してるだけでしかねえ
ワイドショーよりウスッペラいってか?

短期的に形式主義的悲しい素振りを見せるより
いかなる形であれ、中長期的に永遠に物言わぬ
故人を「覚えてる」方がまだマシじゃねーのか?

さらに奥山氏の意思を汲み取ると(あくまでも
それは個人的「解釈」でしかないのだけれど)
実は彼もまた、語り口こそソフトでありながら
「絶望的な現実」を突きつけるコトをある意味
「楽しんでた」ような気が俺にはしてる。

レムもまた小説家としての自らの存在意義さえ
も全否定し「言葉=情報」の洪水が思考を破滅
させるという「絶望的な結論」を突きつけた。
思考を突き詰めることを楽しんでたと言える。

主旨も手法も違うが、今や完全な沈黙に入った
2人の共通点を強いて挙げるとするならば、
それは「絶望を直視する脳天気なユーモア」だ。
そこに俺は共感したのだ。

但し、彼らが突きつけた「ユーモア」ってのは
ドライでヒネリが入ってるから、「人の道」を
踏み外すのはいけませんみてえなコトをヌカし
やがる奴にゃ直視するのも耐え難い。

それゆえ奥山氏の小説を「病気をネタにする」
以外に全く中味がないと批判する奴もいりゃ、
レムを屁理屈コネ回す変人と批判する奴もいる。

    

要は「人の道のストライクゾーン」の問題だ。
受け止める人間のストライクゾーンが狭けりゃ
「ユーモア」も「ユーモア」と解釈されぬまま
ただただ忘れ去られてく。

クソ野郎な俺はそーゆー真人間が大嫌いだから
何かとゴタク並べて沈黙の意味を解釈したがる。
あーあ。野暮なコトこの上ねえハナクソな駄文
たぁ全くもってこのコトだぁ〜!!


今週の「バカは死ね」/「金メダルフィーバー」バカ [Archives]

またしばらくブログの「放置プレイ」が続いた。
so-net blogがクソ重いのもさるコトながら、
風邪がなかなか治らねえのだ。

何しろダルい体でボーッとテレビ見てると、
いろんなモノが歪んだカタチで見えてくる。

    

トリノ五輪で日本全国に感動をもたらした
荒川静香の金メダルフィーバーも…

    

別の「フィーバー」にうなされてる俺には、
場末のストリッパーに見えてきちまうのだぁ。

根っからスポーツ嫌いの俺ではあるけれど、
この妙な違和感の正体は一体何なんだ?

先日も荒川のライバル、スルツカヤの転倒を
喜んだのが不謹慎だとか何とかって話で、
文部科学相がお詫びの談話を余儀なくされたり。

立場ある人間の放言のマヌケさはともかく、
そこに品性の下劣さを見出して批判するのも
何か違う気がする。

だってホントは、日本中の誰もがスポ根ドラマ風
味付けのB級メロドラマを楽しんでただけじゃん?

スポーツマンってそれほど高尚な存在かぁ?
確かに目標に向かって汗を流してる人間は、
努力と根性のカタマリみてえに見える。

でもラグビー部員がレイプやらかすコトもあれば、
タバコ吸って捕まった駒大苫小牧の野球部員も、
少なくとも品行方正じゃねーだろ?

選手は単純に「面白い」からスポーツに打ち込み、
見る人間は「見てて面白い」から見てるだけ。
本来そこには「道徳」や「モラル」は介在しない。
高尚さを持ち出すのは勝手な思いこみだ。

つまりスポーツは基本的に「見せ物」なのであり、
殊に絵ヅラから言って「フィギュアスケート」は
「曲芸」の要素が強い。
しかも人気の秘密は、ぶっちゃけ「エロス」だ。

    

だってこんな体位したり、パンチラ見せちゃったり…

    

安藤美姫の大股開きやら剃り跡を妄想させる
ワキの下とかこの上なくイカガワシイ。

    

浅田真央なんか「幼児ポルノ」みてえだ。
一応「スポーツ」としての体裁を取ってはいるけど、
本質は「大道芸」で、猥雑さに漲ってる。

事実、トリノ五輪開幕前、フィギュア人気をここまで
盛り上げた立役者は安藤と浅田だ。
「エロス」という「隠し味」が視聴者の脳の中枢神経を
刺激したからこそ目を惹き付けたのだ。

一応断っとくけど、これは「フロイト的性抑圧理論」の
過剰な振りかざしでもなければ、熱にうなされた俺の
変態性欲的妄想の表明でもない。

人間の脳には、いわゆる「フェチ」的な魅力を放つ
絵ヅラに惹き付けられずにはいられない「本能」が
「先天的に刷り込まれてる」気がするのだ。

なぜそー思うかと言えば、今までさんざんテレビ
番組を作ってきた経験から「不特定多数の視聴者
を惹き付ける絵ヅラ」と、そうでない絵ヅラの差を
数字でまざまざと見せつけられてきたからだ。

その中でも「フェチ」的な魅力を発散する絵ヅラは
確実に視聴率を取る。例えば「性欲」と並ぶ人間の
根源的欲求「食欲」を引き合いに説明すると…

  

お上品な高級フランス料理にソフトフォーカスとか
かけて、どれだけ綺麗に撮影しようとも…

視聴率で肉汁したたるハンバーグにゃ敵わねえ。
「したたる肉汁」という「フェティッシュ」な絵ヅラが
(広告業界ではコレを「シズル感」と表現するけど)
本能的に視聴者の目に止まるのだ。

    

フィギュアスケートもどことなくそれとよく似てる。
殊に五輪開幕前、安藤美姫が絵ヅラ的にあれほど
フィーチャーされたのは、彼女がおよそアスリート
とは思えない「プニプニ」体型の持ち主だからだ。

仮に俺が「彼女を食べたい」と言ったとしても…

ハンニバル スペシャルプライス版

ハンニバル スペシャルプライス版

  • 出版社/メーカー: 東宝
  • 発売日: 2003/01/21
  • メディア: DVD

別に「ハニバル・レクター博士」じゃなくても、
大半の人間には「全く理解不能」じゃねーだろ?
実際、野郎どもが比喩的に「あの女食った」とか
言ったりするのも、偶然じゃないと思う。

何というか? 感覚的にしか表現できねえのだが、
要は安藤美姫って「上品な内装の高級レストランに
なぜか一品だけ出てきた大衆食堂のハンバーグ」
だったのだ。

「綺麗だがクール」なフレンチの中にまぎれ込んだ
「したたる肉汁」の下世話さ、いかがわしさこそが、
フィギュア人気爆発の起爆剤だったのだ。

ちなみにそれで言うと、安藤美姫の最大の失敗は
競技の失敗ウンヌン以前に衣装にある。

    

「アカデミー最優秀衣装賞」を受賞したワダエミが
デザインしたコスチュームは、安藤美姫の魅力を
ことごとく殺してた。

腋の下も見えなけりゃ、プニプニした二の腕まで
覆い隠されちまってる。大衆食堂のハンバーグを
むりやり高級フレンチに仕立てちまった感じ。

競技が終わった途端に、まさに「国辱扱い」される
まで人気が急降下したのもこの衣装のせいだ。

確かに演技は生彩を欠き、4回転ジャンプも失敗。
でもそれは「後付けの理由」に過ぎない。

選手の映え方は衣装にも大きく左右される。
いかに採点基準が厳格と言っても、「芸術性」が
求められる競技の性質上、審査員の採点は主観的
でしかあり得ねえのだから。

テレビの前の視聴者だって、ホントはプニプニの
二の腕やワキの下を下品に露出したエロス全開の
ミキティが見たくてたまらなかったのだ。

ところが、この「見せ物」としての下世話な興味は
いつの間にか「スポーツマンの高尚さ」を全面的に
押し出す荒川賛美の論調にスリ代わっちまって、
挙げ句には支持率ジリ貧の首相が国民栄誉賞を
乱発する始末。

勿論、それはメディアが演出したものでもあるけど、
視聴者もある意味、都合良く、そう思いたがってる
ように俺には見えてくる。

ホントは下世話に「エロ曲芸」を楽しんでた無意識
の罪悪感を、都合良く払拭したいだけじゃねーの?
だからことさら「スポーツマンシップの素晴らしさ」
なんかを持ち出して、「転んだスルツカヤを喜ぶ」
ナチュラルな感情を否定したがるんじゃねーの?

大体オリンピックのメダルなんかカネで買えるのだ。
特に冬季五輪は、カネを惜しまず選手を育成すりゃ
夏季五輪よりメダルを買える可能性は高い。

だってウィンタースポーツは道具揃えるのもカネが
かかるから、身体能力では圧倒的に有利なハズの
アフリカ系の選手は殆ど出られない。

要は先進諸国の高貴なお遊び。
そこへ「黄色い成金バナナ」がシャシャリ出てきて
場を荒らすモンだから、あれこれルール改正して
締めだそうとされてるのが現状。

ホントに凄いのは、その不利な状況でカネにモノ
言わせて金メダル取ってる「日本経済の実力」だ。

    

事実、最近の冬季五輪で日本人のメダルラッシュ
があったのは長野五輪ぐらいだが、
これだってウィンタースポーツに力を入れてた
「世界一の脱税王」堤義明が、地元開催だからと
大枚はたいて選手を育成してくれたおかげ。

そして荒川静香も「プリンスホテル」所属。
「脱税バブル」の恩恵の名残だ。
つまり金メダルって「脱税の賜物」?
「マネーロンダリングの正の効果」ってコト?

小泉も、荒川より堤義明に感謝しなきゃダメだ。
「日本の手柄」みてえな顔して賞賛してるけど、
そもそも政府は何一つ力を貸してねーのだから。

そしてどいつもこいつも「金メダルフィーバー」の
錯覚に酔いしれつつ、テメエの品性の下劣さは
都合よく忘れ去っちまってる。

どーやら「フィーバー」でボーッとしてアタマが
回らなくなってるのは、俺だけじゃねーらしい。


De Do Do Do, De Da Da Da [Archives]

〝De Do Do Do, De Da Da Da
 Is All I Want To Say To You
 De Do Do Do, De Da Da Da
 They're Meaningless And All That's True〟

言葉がどこまでも空虚になってるこのご時世、
意味を持たない言葉の方が純粋で罪がない。

ゼニヤッタ・モンダッタ

ゼニヤッタ・モンダッタ

  • アーティスト: ポリス
  • 出版社/メーカー: ユニバーサルインターナショナル
  • 発売日: 2005/09/21
  • メディア: CD

そう歌ってたStingも、最近は「円熟味」がウリで
名前が意味する「針」とは裏腹にトガッた部分が
無くなりやがって、いっそ改名でもすりゃいいのに
と思ったりもするのだが、最近の騒動を見てると
どーにも「De Do Do Do,De Da Da Da」な感じ。

  

口先だけで謳ってた「安全」がバレちまった
「マンションの耐震強度偽装疑惑」とか…

    

実体のねえ言葉を独り歩きさせることで
株価を釣り上げてた「ライブドア事件」とか、
どれをとっても語られた言葉や書かれた文章は
全く意味をなしてなかった。

つまり全ての元凶は「口先だけの空虚な言葉」。
究極的には何もかもがここに行き着く。
言葉が信念や行動、実体を全く伴ってないから
価値の暴落=ハイパーインフレを起こしてるのだ。

何しろテレビつけりゃデタラメがまかり通ってる。

  

ライブドア騒動でも、近鉄の球団買収騒動の時、
運営アドバイザーとかって役職で堀江からカネを
もらってたハズのテリー伊藤は、何らお咎めもなく
ワイドショーで掌返しの堀江批判をしてるし…

  

細木数子が「ライブドアの株価は5倍になる」
と予言したのはまあご愛敬としても、
「卵はクスリ漬け」発言で受けた抗議の謝罪を
他でもないフジテレビが肩代わりしちまってる。

マスコミがこの調子だから、言葉の価値が暴落
するのもまぁ当然の帰結。

  

フタ開けてみると全くパッとしねえトリノ五輪も、
元はと言えば「世界レベル」でもなんでもねえ
日本人選手を「メダルの期待がかかります」
とか空虚な言葉でメディアがアオリ立てた結果。

「空虚な言葉」がもたらす失望感にどこか詐欺
に似た怒りを感じるのは俺だけじゃないハズ。

でもってまた空虚なのが、最近やたら流れてる
朝日新聞のCMのキャッチコピー。

  

前半は「言葉の無力さ」に対する危機意識を
抱いてるかのような問題提起にも見える。

でもここまでヌカシときながら、土壇場で
「それでも信じている」は拍子抜けだろ。
宗教じゃねーんだから。
単なる感情論で何の解決にもなってねえ。

朝日新聞は「言葉のチカラを信じている」
だけじゃなく、そこからさらに踏み込んで
「自分たちの言葉は決して無力ではない」
言い換えれば「自分たちの言葉には責任
が伴っている」とまで言い切る義務がある。

なぜなら朝日新聞に限らず、大手マスコミ
は全て「公共性」を大義名分に掲げてる。
事実を伝えるのが社会的な使命だと主張
する限り、それが当然の責務なのだ。

ところがこのコピーは朝日新聞の「責任」に
ついては何一つ言及してない。一体なぜ?
「言葉のチカラを信じてる」だけだったら
「裏切られた時は仕方がねえ」ってコト?
万一不祥事が発覚した時の予防線ってか?

仮に意図的にボカしたキャッチコピーを
標榜してるとしたら、なおさら論外だ。
問題自体は認識してながら、何ら対策を
講じる姿勢がねえってコトなのだから。

ちなみにそーゆー意図はなかったとしても
感情論で主張を曖昧に薄めた三流コピー
を嬉々として採用してる一点で、物書きと
しての根本的な資質「表現力」に疑問を
感じるのだが?

どの道、「言葉のインフレーション」が
ここまで進んだ現状でも、朝日新聞は
何ら問題意識を持ってない「思考停止」
状態にあるってコトなのだ。

メディアさえ「空虚な言葉」で溢れてる。
だから真実とやらを追究しようにも…

    

政治家までが責任の所在が曖昧な
「匿名」の「空虚な言葉」で大騒ぎ。

武部の次男への3000万円の送金を
指示したというこの「堀江のメール」。

いきなり「シークレット」って…
真偽のウンヌン以前に、巨悪に満ちた
スキャンダルの証拠がコレって時点で
「言葉の空虚さ」に脱力感が漂う。

何というか? 「シークレット」が本来意味
すべき言葉の重みがカケラもねえのだ。

ちなみに現時点じゃ何とも言えねえが、
仮にモノホンなら堀江は相当アホだ。

俺だったらこんなメール送らねーなぁ。
てゆーか、メールとか電話とかじゃなく
信頼できる部下呼んで「うまく処理しろ」
って内密に指示するぞ。

仮にも犯罪行為なんだから、それぐらい
慎重にすべき…いや、そーあって欲しい。
或いはコレがホントのリアリティってか?
それほどまでデタラメがまかり通ってた
ってコトの証明なのか?

それはそれでまたマヌケではあるのだが、
輪をかけてトチ狂ってるのは、国会議員
までが、実は「匿名」というテロリズム的
手法の言葉に躍らされてるこの現状だ。

いわば「国会議員の2ちゃんねらー化」。
バカもここまで来ると、状況は末期的。

元はと言えば、この言葉の価値の暴落は
公の場でデタラメを吐き散らす政治家やら
エセ文化人やらが蒔いた種ではある。

但し、状況を悪化させたって意味では、
「匿名」で裏付けも取れねえ言葉をタレ流す
バカもまた同罪。

無責任なスタンスで言葉を巻き散らし、
何らリスクは引き受けねえクセして、
市民権だけ得ようとするその図々しさが
言葉の価値が暴落するハイパーインフレ
を助長してるという意味で。

要するに、どいつもこいつも言ってるコトと
やってるコトがデタラメで、テメエの言葉の
ケツを拭かねえからこーなっちまったのだ。

言葉が実体や信念を伴わねえ限り、
行動と一致しねえ限り、全てが腐ってく。


結果としての「名作」 [Archives]

    

デンマークの新聞が掲載した「ムハンマドの風刺画」を
めぐって、世界中が大騒ぎになってる。

    

確かに風刺画自体のセンスは悪い。
この絵からは、このご時世、誰でも容易に思いつく
「イスラム=テロリスト」って図式しかイメージできない。
直截的でヒネリがねえから面白みのカケラもねえのだ。
チンコとかマンコ描いて喜んでるガキの下ネタと同じ。

同じ風刺画でも、フランスのLe Mondeの方がまだ
シャレが効いてる。

「私はムハンマドを描いてはいけない…」って文字を
書き連ねて「ムハンマドらしきモノ」を描いてる。
漫画でも文章でも何でもそうだけど、風刺ってのは
「隠された意味」が楽しめなきゃダメなのだ。

ただし、いかに問題の風刺画がクソであろうとも、
責められるべくはアートとしてのクソさ加減だけで、
「ムハンマドを描いた」コトを非難するのは筋違い。
てゆーか、結果としては逆効果だ。

    

まずイスラム教は「偶像崇拝を禁止」するコトで、
言い換えるとキリスト教の「十字架上のイエス」や
「聖母マリア」みてえな絵ヅラとしてのシンボルを
捨てるコトで、純粋に教えを信じろと説いている。

「観念だけで信仰を保つ」って、かなり難しいぞ。
神学的には、キリスト教よりも遙かに高等だ。

しかし、逆にこれが信仰の前提だとするならば
イスラム教徒は「ムハンマド」のヴィジョンとして
の共通のイメージは持ってないコトになる。

「神聖な肖像画を冒涜した」ならまだわかる。
それが「持ってないヴィジョンを傷つけられた」
ってなると、形而上学的でかなりややこしい。

「持ってないモノを傷つけられた」苦痛って
果たして謝罪の対象となりうるのだろうか?

それ以前に「純粋な教義だけ重んじろ」と
ヴィジョンとしての偶像の崇拝を禁止する
高度な教義を実践してるハズの人たちが、
元から存在しないヴィジョンを想像した上に
それを冒涜されたと怒ってる。

それは本来の教義の主旨に則って考えると
「思い描くコトさえも禁じられている偶像」を
心の拠り所にしてるワケで、逆に不心得者の
怒りってコトの証明じゃねーのか?

そもそも教義上、ムハンマドが「描き得ない」
のならば、逆に言うと描かれた時点でそれは
「ムハンマド」じゃないって解釈もあるのでは?

まぁその辺は百歩譲ったとしてもだな、
イスラム教の「偶像崇拝の禁止」は、信徒に
のみ適用されうるローカルルールであって、
異教徒は対象外のハズ。

未だに偶像を礼拝して悦に入ってるアホな
キリスト教徒の描いた似顔絵なんか、シカト
しときゃ済む話なのだ。

だいたい宗教の成立当初ならまだしも、
今やイスラム教は「世界三大宗教」の1つだ。
異教徒に対しての寛容さも要求される。

異教徒との対立の火種になりかねない
古くさいルールはとっとと捨て去って、
すぐに教義をアップデートすべきなのに
一向にそれが行われる気配はない。

よくよく考えれば「偶像崇拝の禁止」って
それ以前から存在した、偶像を崇拝する
異教の弾圧に使われた教義だ。

    

今もその名残があるからこそタリバンが
バーミヤンの石仏を爆破もするワケで。

つまり「偶像崇拝の禁止」ってルールに
「偶像よりも純粋に教えを重んじる為」
とかいくら理屈コネ回してみたところで
単なる後付けに過ぎない。
かなりご都合主義的な言い訳なのだ。

    

そして今回の騒ぎに関しても「信仰心」
は殆ど後付け。ホントの怒りの根源は
「貧困」とか「格差」とか、西洋諸国に
対してイスラム社会が抱えるどーにも
やり場のない不満だ。

その意味で言うと、回り回った末に
実は問題の風刺画は、この大騒動に
よって「ホントの風刺」になっちまった。

    

信仰を司るハズのアタマの中にある
直情径行的な怒りに火がついて爆発…
余りにも単純かつ最小限の表現で、
事件の本質が暗示されてるように
見えてくるのが、これまた不思議。

全くヒネリのない駄作がイスラム教徒の
怒りを掻き立てるコトで、そこに描かれた
構図が現実化し、「歴史に残る風刺画」
になっちまったのだ。

これほどの皮肉があるだろうか?
「宗教」って一体何?
「信仰心」って一体何?

どーやら「悪魔」だけじゃなく「神様」も
人間をトチ狂った行動に駆り立てるらしい。

そんな数々の問題を提起したって点で
この風刺画は存在意義のある「名作」
ではないかと、敢えて言ってみる。


Don't Believe The Hype [Archives]

    

予想はしてたのだが、堀江騒動も一段落し
ワイドショー的ネタも枯渇気味になったところで
ライブドア堀江の元側近・野口氏の「他殺説」が
ここへ来てまた盛り上がり始めてる。

     

「他殺説」に言及した田原総一郎が身辺警護をつけた
コトも「事件の闇」の深さを物語るってか?

2つ前のエントリーで「自殺説」を取ってみた
俺の耳にもあちこちから情報が入ってくる。

某テレビ局で報道やってる大学の同期の話じゃ
「犯人が××会の組員なのはほぼ確実」で
別の知り合いが聞いた元大物政治家の話じゃ
「沖縄で殺すのは△△組の手口」とか何とか。

どの道、真相は「ブラックボックス」なのだが
原則に立ち返ってみると、
問題は「その筋の情報」の信頼性だ。

まず第一にメディアの取材能力なんてのは
たかが知れてる。

    

ライブドアだって、偽計取引やら粉飾決算やらは
本気で取材すりゃ証拠はいくらでも挙がったのに
それさえマトモに取材できてなかったのだから。

俺が知り合いから聞いた「他殺説」の情報も
全部で3種類だけど、ヤクザ屋さんの団体名
はそれぞれまちまち。しかもその「情報」の
出元は得体の知れねえ「事情通」だ。

そもそもヤクザ屋さんとかその周辺関係者
(黒い噂も多かった元政治家も同類だ)って
何かと話が大袈裟。自分が全く関わってない
案件でも「知らない」とはまず言わねえ。

アンダーグラウンドのベールを身にまとうのは
よく知らねえ人間にテメエを大きく見せるには
手っ取り早い手段だからだ。

それにヤクザ屋さんって、人殺しに代表される
明らかな不法行為は「主要な業務」じゃない。
そればっかりやってたらすぐ捕まっちまう。
ビジネスとしてリスクが大きすぎる。

刀はよほどの時以外は鞘から抜かねえのだ。
何度も抜き差しするとメッキも剥がれるから。
剛速球のピッチャーと見せかけて、その実は
変化球で打たせて取る技巧派みてえな。

つまり彼らの「業務」って、人殺しさえ辞さない
みてえな「圧力団体」的スタンスを取ることで
有利な条件を引き出すケースが殆どなのだ。

一言で言えば、「コワモテ」というブラフ。
何となくルールに縛られてる一般人の中じゃ
血走った目してる奴は取り分が大きいワケで。

多くの人間はヤクザ屋さんなんざお目にかかり
たくもねえから、このブラフを見抜けねえのだが
特に大手の新聞社やテレビ局の報道関係者ほど
この手のブラフを使う「ヤバい奴」に弱い。

デカい事件が起きても、お抱え記者クラブで
ウケウリの情報しか取ってこれねえし、
大抵の取材先は会社の旗掲げたリムジンで
現場に乗り付ければ何でも喋ってくれる。

だから「得体の知れねえ相手」に取材すると
逆に会えたってだけで舞い上がっちまう。
裏取り不能な噂話まで興味深く拝聴しがち。

多分、普段ロクな仕事してねえから
たまにこーゆー体験しちゃうと
「社会の実態に肉薄した」みてえな錯覚した
心理が働くんだろう。

俺が聞いた「情報」の錯綜具合も事件の真相
ウンウン以前に、そんなメディアの機能不全の
現れにしか見えねえ。

野口氏の「他殺説」がまことしやかに
吹聴されるほど、「何でもヤクザ屋さんの仕業」
的な幻想に躍らされちゃってる感じがするのだ。

だいたいメディアに限らず、大手の企業ほど
ヤクザ屋さんの支離滅裂な脅しに弱い。
よくよく考えりゃあデタラメな抗議なのに
思考停止でビビりまくって言うコト聞いちまう。

その「なあなあ」感が行くトコまで行き着いて
ついには「毒をもって毒を制す」みてえに
ヤクザ屋さんを味方につけたような気になって、
その実さらにツケこまれてたり。

ライブドアとヤクザ屋さんの関係も、入口は
そーゆー感じで始まってるんだろう。
でもって、話は野口氏の「謎の自殺」に戻る。

そこまで企業とヤクザ屋さんの結びつきが
深いのなら、「他殺」に見えなくもない。

周到に準備された手口で「殺人」が実行され
万全の隠蔽工作で事件が闇に葬られようと
してるかのように見える。

だが、俺的にはそこが疑問なのだ。

メディアであれ大企業であれ官僚であれ、
最近の数々の不祥事を見ればわかる通り、
あらゆる組織はどこもかしこも穴だらけで、
ツッコミどころ満載だ。

社会全体が「機能不全」を起こしてる。
なのにそこへ来て「ヤクザ屋さんの実力」
だけが過大評価されてる気がするのだ。

野口氏の「他殺説」に関する推測ってどれも
「組織」としてのヤクザ屋さんが極めて
効果的に機能してるって前提に基づいてる。

そんなにうまく機能してんだったら
ビビリまくりのメディアの取材ごときで
口が堅くて鉄壁の結束を誇ってるハズの
ヤクザ屋さんの内幕を「信用できる情報筋」
がホイホイ語ったりできるかぁ?

ヤクザ屋さんの世界にも「事情通」と称する
組織の中枢と関わりのねえハンパ者どもが
ゴロゴロいて、あるコトねえコト吹聴しまくる
デタラメがまかり通ってる証明じゃねーのか?

メディアや企業、あらゆる組織がそーなように
ヤクザ屋さんも、現実は「機能不全」な部分が
あるってコトじゃねーの?

さらに言うと、カネ絡みの「殺し」だとしても
通常より儲かるのが前提のイリーガルな商売
やってるのに、損失被っちゃってる時点で既に
「機能不全」だ。

それで腹立てて人殺すんだったら、まさしく
行き当たりバッタリだ。計画性もヘッタクレも
ありゃしねえのに「自殺に見せかけた殺人」
を周到にやってのけたりできるんだろうか?

現実の裏社会がそれほど狂ってるのかも
知れねえが、一部分はやたら緻密なのに
他はデタラメだらけ。そのアンバランスさ
加減がナチュラルじゃねえから、直感的に
フィクションの匂いがしちまうのだ。

で、こんな感じで突き詰めて話を聞いてくと
あちこち矛盾が出てくるのも妙な話。
でも結論はその辺りをうやむやにしちまって
「コレ以上はヤバくて言えない」とか何とか。
デマの典型じゃねーか。

「事件の闇は深い」「巨悪の陰謀」みてえな
推測って、コレだから信用ならねえのだ。

マクロで見ると「ライブドアと暴力団の関係」
とかは語れても、強引に点を線に結びつけて
陰謀論を展開するのは無理がありすぎる。

いわゆる「Butterfly Effect」みてえなもんで
中国で1羽の蝶が羽ばたいただけでも
アメリカでタイフーンが発生する可能性は
そりゃ確かにあるが、事前の予測はもちろん
後付けの説明だって無理。

たとえ全ての事実が明らかになったとしても
それらを1個1個積み上げて全体像を完全に
再構築するコトは不可能なのだ。

つまり、あれこれ情報の断片を面白おかしく
繋ぎ合わせて「他殺説」を面白がってる奴は
天気が予測できると言い張るインチキ予報士
みてえなモンで、しかもその根拠とする情報
さえ断片的で不確かなワケで。

その意味で「他殺」の可能性も決して否定は
できねえが、現時点では「自殺説」を覆す気も
起きない。敢えて言うなら「推理」というよりも
世相から直感した俺の世界観の表明だ。

世界は行き当たりばったりの偶然で回ってて
単純に見えるコトが実は複雑で、
複雑に見えるコトが実は陳腐だったりする。

確かなのは、あるコトないコト語られる言葉は
どこまでも虚しい「ノイズ」だってコト。
俺の推測と騒がれてる「他殺説」、どっちが
「ノイズ」なのかに関しては今後の成り行きと
読者の判断に任せるとする。

俺もできるコトなら、「信頼できる筋」に直接
話を聞いてみてえモンだ。
で余談だが、ぜひ話を聞きてえのがこの男。

    

以前『ジェネジャン!!』の『新階級社会』の回に
一緒に出演した元ライブドアの林類だ。

ちなみにその時のビデオを見返したら
「ライブドアって虚業ですよね?
 ホントに球団買う気あったんですか?」
とか聞いてるな、俺。

「それも株価釣り上げが目的でしょ?」
ってホントはツッコミたかったのだが
さすがにそれ言ったらカットになるからと
「売名行為でしょ?」と茶を濁した表現で
意外と気を遣ってる自分に笑った。

奴の名は堀江のブログにもたまに出てたし、
確かM&A担当だったからいろいろ知ってると
思うのだが、事件後、奴のブログにアクセス
しようとしてもライブドアのポータルサイトに
なぜか飛ばされちまう。

一体どこ行っちまったんだろ?
虚業だけに逃げ足が速いのか?
或いは捕まっちまうのか?
それとも既に誰かに消されちまったのか?

一応『ジェネジャン!!』で話し合った仲だけに
そんな林類が心配だ。
但し今回は死んでても泣かねえと思うけど。


今週の「バカは死ね」@ライブドア祭り [Archives]

    

ライブドア堀江問題は語り尽くされた感があるが
何となく思うのは
多分堀江は檻の中でなお「楽しんでる」ってコトだ。

俺は堀江と同じ「ポストバブル東大卒」で
「大企業に就職した経験がない」のだが
それ以前に同類項の「クソ野郎」としての
よく似たニオイを感じるのだ。

バカは〝容疑者〟堀江の転落の軌跡を
「ザマアミロ」と嘲笑いたがる。
又はその反動で「可哀想」とか同情したり。

どっちも「お上にトッちめられて一巻の終わり」
みてえな固定観念が前提。そーじゃねーのだ。

現状では国家や国民の殆どを敵に回してる。
復帰の見込みも圧倒的に低い。

にもかかわらず、たとえ一文無しになろうとも
懲役刑を食らおうとも、この状況こそが
ゾクゾクするほど面白くてたまらねえのだ。
ある種のトチ狂った「クソ野郎」にとっては。

堀江が意識してるかどーか定かじゃねーが
突き動かしてるのは、ある種の「自殺衝動」
のような気がする。

クビくくるとか手首切るのとはまた違う。
巧く表現できねえが、ポジティブな自殺衝動。
『悪魔ニ共感シテル俺』でちょっと触れた
「現在と将来の割引率」の計算が、犯罪者
みたくトチ狂ってるんだと思う。

根底には「別にどーなろうが構わねえ。
終わりにするならしやがれ」って感じがある
のだが、一方で妙に醒めてたりする。

ちなみにこのタイプのクソ野郎は
『クイズ!ミリオネア』に出ても興奮しねえ。

普通の出場者は、賞金が減る減らねえって
クイズ一問に一喜一憂するのだが、そこで
ふと感じちまう。

「よくよく考えりゃ最初にもらう賞金からして
 他人にあてがわれたモンじゃねーか?
 何でテメエの金でもねーのに、取っただの
 取られただのと一喜一憂させられてんだ?」
…みてえな醒めた感覚。

まあそれはそれでおいといて、
前提としてこの先どーでもいいやと思ってる
トチ狂った感覚と醒めた目線が入り交じった
状態でタイトロープを「綱渡り」したくなる。

で、堀江の場合、何度かそれをやってみたが
転落はしなかった。多分、ここがポイントだ。

実はこの「綱渡り」、一旦居直って成功すると
どーにも「ヤミツキ」になっちまうのだ。

俺も『ジェネジャン!!』の討論で圧倒的に不利
な状況になるほど「快感」を感じちまうのだが、
なんか似てる気がする。
中毒だ。依存症だ。麻薬的魅力がある。

ちなみに「リスカ」やら「オーバードーズ」やらも
ある意味「中毒」なのかも知れない。
但しそれらがもたらす精神の高揚レベルは低い。

掟破りの「綱渡り」の方が快感がデカいのだ。
どっちも経験ねえから体験者に聞きてえのだが
「シンナー」と「ヘロイン」の違いぐらいか?

でもって多分、麻薬常用者がそーであるように
クソ野郎も「綱渡り」を何度も繰り返してくうちに
いつしか世界が歪んで見えてくる。

健全な皆々様方が社会生活を営む上で
多かれ少なかれ尊重してる「ルール」やら
「モラル」やらがアホらしく思えてくるのだ。
「規範」とされてるモノが、実は穴だらけの
デタラメな欠陥品に見えてくるのだ。

その最たるものが「法律」だ。
最初から取り締まる側に都合がいいように
出来てて、レギュレーションの変更も簡単。
しかも万人に平等には適用されてない。

税金1つ取っても
パチンコ屋がやったら「脱税」なのに
大企業がやったら「申告漏れ」とかゆー
何だかマイルドな呼び名になってたり。

さらに言うと大企業の場合は
「税法の見解に相違があった」とか
弁護士に言い逃れさせるコトもできれば
会計士に粉飾決算を手伝わせたりできる。

別にIT系に限らず、殆どの企業は多かれ
少なかれ会計操作で帳簿をゴマかしてる。

東京地検特捜部はライブドアの摘発で
「膿みは徹底的に取り除きました」みてえに
得意顔するだろうが、本質は何も変わらねえ。

なぜなら、世の中そのもの、実は全てが
腐り果てた「膿み」で出来てるからだ。
だから「法律」も「政府」という巨大な膿み
が都合良く編み上げた膿みだってコト。

そー考えると、「景気回復」ってのも
何だかマヤカシっぽく見えてくる。

例えば不景気のまっただ中だった数年前、
知り合いの金融マンが調査機関に出向して
「月次GDP」の統計調査をやってた。

「月次GDP」は政府が発表する
景気動向を探る為の重要な経済指標だ。
投資家はそれを株の売買の参考にしてる。

ところがソイツがやってた「統計調査」の
実態は「いかに高い数値をはじき出すか」
つまり、景気が回復してるように見える
都合のいいデータを探すのが仕事だった
というのだ。

政府の発表する「月次GDP」からして
「投資家を欺く粉飾」だったってコトだぜ?
そしてその粉飾を「今はやってません」
って誰か言い切れるのか?

大体ライブドアがご破算になってみたら
国内にめぼしい急成長企業なんかありゃしねえ。

ちなみに俺の知り合いで羽振りがいいのは
「外資」ガラミの金融系とか弁護士ばかり。
トチ狂ったクソ野郎には、ますます社会が
歪んで見えてくる。

だから社会を根底からバカにしきってる。
「ルール」がマトモに機能してない上に
時代に追いついてないから、その間隙を
突いて遊びたくなるのだ。

そのゲームに倫理もへったくれもありゃしねえ。
多少踏み外しても見つからなきゃセーフ。
なぜなら元々グレーゾーンだから。
もっとも堀江の場合、お上のあの手この手で
摘発に持ち込まれたが、多分後悔はしてない。

だいたい「お上」はバクチを取り締まりながら
テメエだって同じイカサマやってやがるだろ!
違いは「日本国公認」のお墨付きの有無だけ。
こっちが勝ってるモンだからって強引な手ェ
使ってカネ巻き上げやがって!…みてえな感覚。

それだと気分的に「負け」にはならねーのだ。
どっちもデタラメだったら、立場は対等だから。

ともかく「綱渡り」で行けるトコまで行ってみて
結果として国中が大騒ぎ。
トチ狂った「クソ野郎」的に見て、こんな快感
は滅多に味わえるモンじゃねえ。

しかもまだ「ゲームオーバー」でさえない。
法廷闘争もヤツには相当面白い「遊び」に
なると思う。檻の中で虎視眈々と次の手を
考えて「楽しんでる」のが目に浮かぶ。

健全な皆々様方は、こんなコト言ってると
最低限の規範さえ嘲笑う不届き者だとか
また怒り出したりするのかしらん?

「全ての前提が崩れたら社会は一体全体
 どーなってしまうのでしょうか」ってか?
知らねえよそんなモン。

こっちは今日死んだって構わねえのだ。
とことんまで崩れ去るのが見てえのだ。

エラソーなコト言うならテメエが何とかしろ。
機能不全に陥った今の社会のシステムを
放置してたのはテメエらなのだから。
そしていくらモラルを並び立てたところで
「膿み」から「モラル」は作れねえのだから。


ライブドア〝謎の自殺〟の「ダ・ヴィンチ・コード症候群」 [Archives]

    

ライブドア堀江〝メンバー〟逮捕に伴う一連の祭りは
ツッコミどころが多すぎてどっから手をつけるか迷うところだが、
『ジェネジャン!!』で「自殺」がテーマだったカラミもあるので
とりあえずこの問題から考えてみる。

    

堀江の元側近・野口英昭氏の「自殺」について
かなり多くの人間が「殺された」と思ってるのでは?

実際この事件が報じられた時、殆どのニュースやワイドショーは
画面の上端に「謎の自殺」とかってサイドスーパーをつけてた。

「自殺」の状況もやたらと不自然だ。
手首以外にも腹とかも切ってたらしいし、
「自殺」したハズの当人が非常ベルまで押してる。

確かにカネが動いてたから、ヤクザだか口封じだか
知らねえが「殺された」のかと勘繰りたくもなる。

が、しかし! 実際どーなのか断言はできねえが
俺は単純に「自殺」だと考えている。

あれこれ詮索して「他殺説」を主張するバカも
多かったりするけど、この一見たくましく見える
想像力こそが、実は想像力の貧困さの表れに
他ならねえように思うのだ。

ダ・ヴィンチ・コード (上)

ダ・ヴィンチ・コード (上)

  • 作者: ダン・ブラウン
  • 出版社/メーカー: 角川書店
  • 発売日: 2004/05/31
  • メディア: 単行本

ひとまずこの手のバカを「ダ・ヴィンチ・コード症候群」
と命名してみる。

ぶっちゃけ『ダ・ヴィンチ・コード』は読んでねえのだが、
「聖杯伝説」やら「中世史の謎」やらをつなぎ合わせて
常識を覆す物語は娯楽小説としちゃ面白れえのだろう。

でもそれを中途半端なバカがやると、どーにも興ざめだ。

    

「ダイアナは英国王室に殺された」みてえな論法。
不自然な断片をつなぎ合わせて、都合が悪いトコがある
と「陰謀」ってコトで押し切る。

他にもまことしやか妙な噂が囁かれてたり。例えば…

    

「雅子妃の鬱病はイラクで殺された奥大使が原因」
って噂。それによると…

①外交官当時、雅子妃は留学先のイギリスで
 奥大使と同棲し、婚約までしていた。
②ところが政府の圧力で雅子妃は「未来のお后」に。
③その一方で奥大使はイラクに飛ばされる。
 そしてイラクの反政府ゲリラに見せかけた日本政府の
 差し金で〝口封じ〟に殺された。
④雅子妃は「奥大使が殺されたのは自分のせい」と悩み
 それが原因で鬱状態になった …みてえな話。

ちょっと面白かったので、外務省で奥大使の部下だった
大学の同期にこの件を聞いてみると…
「2人がイギリス行ってた時期は全然別だぞ」

一言で前提が崩れた。何のことはねえ「都市伝説」だ。
ちなみに奥大使は以前から「イラクに行きたい」と主張
されてたそうで「飛ばされた」もウソだそうな。
これじゃ故人も浮かばれねえだろ。

要するに情報の断片を面白おかしくつなぎ合わせて
ストーリーを再構成するのって、実は簡単なのだ。
しかもそこに自然と尾ビレ背ビレもついてくる。

そもそも大抵の人間は情報の裏付けも取らねえ。
足りねえ情報を足りねえ脳ミソでつないで悦に入ってる。
出来上がるのは三流娯楽小説みてえなストーリー。

でもって、ここから本題。
野口氏の「他殺説」にもこれと似たモノを感じるのだ。

確かに「手首以外の切り傷」や「非常ベル」は不自然だ。
しかも「自殺」したのは、ネオバブルの中で肩で風切って
カネ儲けに精出してた何不自由ないエリート。
何ら問題なく成功の道のりを突っ走ってきたポジティブな
サラリーマンが突如死に急ぐのもまた不自然。

だが、この「不自然さ」こそ自殺の本質ではないのか?

『ジェネジャン!!』でも自殺志願者が体験談を語ってた。
「練炭」とか「オーバードーズ」とか「リストカット」とか
それぞれ方法は違うけど、唯一共通してたのは
「うまくやろうとしたができなかった」ってコトだ。

その感覚になったコトない人間はわからねえから
「死にてえならもっとうまくやれよ」とか
「結局死ぬ勇気さえねーんじゃん」とか
テレビ見てツッコミ入れてたんじゃねーか?

これもまた「想像力の貧困さ」だ。
自殺する人間が「よーし今日死ぬ!」って決意して
怠りなく万全の準備して「ハイ決行!」って行くと
でも思ってやがるのか?
それこそマンガだ。作りモノのテレビドラマだ。

また誤解受けるかも知れねえから一応断っとくと
あの番組の「自殺志願者」を肯定する気はない。
「自殺を考える人間は単に意志が弱い」的発想
からの脱却なしに問題解決はねえと言いたいのだ。

野口氏が「自殺」に至る「不自然」なプロセスも
俺には自殺者が辿る「自然な流れ」に見える。

何と言うか? 世界が根底から崩れてく感じ。
何かに圧倒されて自分じゃど−にもならねえ感じ。
自分でもワケわからずトチ狂ったコトしでかす感じ。

で、何が何だかわからねえまま「沖縄に高飛び」だ。

    

遺体が発見された現場は、誰がどう見たって
安手のビジネスホテル。

計画的な「他殺」だとすると、一連の経緯は
合理的に説明されなきゃならねえハズだが、
まずここに彼が出向いた意味がわからねえ。

そもそも殺し屋がいたとしたら、わざわざ沖縄
にロケーションを設定する意味もわからねえ。
殺るなら都内の方がずっと簡単なワケで。

操縦不能の航空機がダッチロール状態で
迷走するように、制御不能に陥った人間が
行き当たりばったりで辿り着いたのが、多分
このホテルと考える方が「自然」だと思う。

で自殺決行だが、ともかくマトモじゃねえから
ワケのわからねえコトを繰り返す。

腹切ったり、非常ベル押すのもある意味当然。
「悪魔」に取り憑かれた奴の行動ってのは、
ハタから見るとホント「トチ狂ってる」のだ。

特に今まで「悪魔」に取り憑かれたコトない
人間ほど、突然検察の聴取なんか受けて
根掘り葉掘りいろいろ問い正されたりすると
信じてた世界が簡単に根底から崩れちまう。

元々自殺に至る人間の行動なんて不合理
だらけなのだ。なのにバカはそこに合理的
行動を持ち込みたがる。
前提が狂ってるから「不自然」は「不自然」
なままの方が実はよっぽど「自然」なのだ。

それをやれ「殺された」だの「口封じ」だのと
言うのは、殺人や自殺が簡単に成功しちゃう
三流サスペンスドラマの見過ぎ。
人間の本性がわかってねえとしか思えねえ。

その意味で、前回の『ジェネジャン!!』見て
「自殺したいなんて言ってる奴はアホ」とか
ヌカして説教タレたがるのも、バカの同類。

それって、「受け売りの答え」じゃねーの?
アタマが三流娯楽小説レベルの安っぽい
思考に毒されて、想像力が貧困になった
結果じゃねーの?

人間は誰でも自殺衝動を持ちうるコトや
自殺を遂げるまでの不可解な行動とかを
想像できてない。物事のウワッツラだけを
ナメて理解した気になってるだけ。

「自分は自殺なんて絶対しねえから」とか
「自殺する奴は一部の例外的な異常だ」
みてえな安易な結論で自分を納得させて
高見の見物を気取って安心してたいだけ。

こうして事件は「謎の自殺」と囁かれ続け
バカはどんどん本質を見誤っていく。


ペトロ氏ね5/『ジェネジャン!!』に関して [Archives]

1/14(土)22:15-23:44
『ジェネジャン!!』出演。

    

当ブログへの直接の異論反論等はトラックバックのみ受付。
コメントしてえ奴は〝ペトロ三木公式ストーキングブログ〟
『ヘボログ』へ。
俺も書き込みしたりするかも。

なお今回のテーマについては以前書いたエントリー
「悪魔ニ共感シテル俺」ほかあちこちで取り上げてるので
当ブログを参照のこと。

「奥山貴宏氏」については俺も何度か書いてるが
彼のブログ『32歳ガン漂流エヴォリューション』
読むのが一番てっとり早いだろう。

それと改めて彼の遺作を紹介しとく。

ヴァニシングポイント

ヴァニシングポイント

  • 作者: 奥山 貴宏
  • 出版社/メーカー: マガジンハウス
  • 発売日: 2005/04/14
  • メディア: 単行本


「忘れてない」なら読みやがれ。
ご大層なゴタクなら誰にでも並べられるが
行動や信念と一致しない「実体のねえ言葉」ほど
空虚でウスッペラなモンはねえのだから。


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1月の「バカは死ね」 [Archives]

年末年始に告知で茶を濁す今日この頃。

    

果たしていつまで続くやら?
月刊誌『CIRCUS』連載中
『ペトロ三木の放射能コラム/バカは死ね』

今月は題して「新年バカ初め/偽装バカ」。

どいつもこいつも姉歯の偽装マンション問題
でギャーギャー騒いでるが、そーゆーテメエ
はどーなんだ? っていろいろ挙げ連ねてみた。

で、書いてみて感じたのだが
実はこの世の中って、ありとあらゆるモノが
「偽装」で覆い尽くされてる。
確かなコトなんか何一つありゃしない。
つまり実体に比べて言葉がウワスベリ。

気がつくとこのブログでも俺がネタにしてる
コトの多くは「言行不一致」についてだ。

結局、誰も自分の発言に責任を持ってない。
政治屋もタレントも文化人もメディアも
テメエを棚に上げてゴタクを振りかざす。
「言ってるコトとやってるコトがデタラメ」。
俺は一貫してそれを書いてたのだ。

で、かくゆー批判は俺にもまた向けられる。
このブログも始めて1年を越えたところで
総括としての「自己批判」をしてみよう。

読んでる知り合いから一番言われるのは
「ともかく長い」だ。

確かに以前のエントリーを読み返すと
当初はそれほど長くなかったのだが
時が経つにつれ長文化してる。

トラックバックの返事もそう。
俺の返事が元の文より全然長かったり。

思うに、タダでさえ誰も自分の言葉の
ケツを拭おうとしねーから
「言葉のインフレーション」が起きてる
このご時勢、言葉の価値は下落してる。
だから誰の言葉も空虚に響いてる。

なのにそれを批判してるハズの俺が
また長ったらしい文章を書き連ねてる。
何と言うか? テメエの吐き散らす言葉
にテメエ自身が埋没してる感じ。

俺が「ペトロ三木」にツッコミを入れる
としたら、実はその辺りなんだけどな。

ところが一方で、たまに面倒だからと
説明をハショったりするとそれはそれで
「もっとちゃんと説明しろ」みてえな反応
が返ってきたり。

まぁ『ジェネジャン!!』がきっかけでこの
ブログを知った子供の読者もいたりする
モンだから、俺の方も老婆心的な親切
で「コレもアレも説明しなきゃ」症候群に
陥りがちだが、やはり割り切るしかない。

てなワケで、またあれこれ自問自答の末
2006年の俺のテーマが決まった。
ペトロ三木の今年のテーマは「不親切」!

バカに余分な説明はいちいちするコトなく
文章の簡略化を(一応)心がけまーす!

それでも文章が長すぎるという奴は
こんなブログは読まないで下さーい!

てゆーか、そもそもタイトルからして
「アタマのおかしいブログ」なのだ。
単なるガイキチの妄想なのだ。

ホントにまともなヤツはこんなブログ
読んじゃいねーのだ!
読んでるキサマこそ病んでるのだ!

自己批判のフリして何ら反省の色なし!
死ぬまで俺は「自己完結」!
何一つとして変わりゃあしねえのだぁ!


予告/2006.01.14『ジェネジャン!!』 [Archives]

2005年の仕事納めは『ジェネジャン!!』だった。
テーマは「命」。主な出演者はこんな感じ。


ちなみに宇梶の隣は「翼の折れたエンジェル」。

一応1月14日(土)22:15〜23:45
日テレ系でOAらしいのだが
一体どこまで放送できるのだろうか?

まず討論で失神者が出た。
伝え聞いた話だと、どーも俺の言動が
「昔の思い出したくない記憶」ってのを
フラッシュバックさせちまったらしい。

その少女は幸い大事には至らず
数分後にはスタジオに戻ってきたのだが
まぁ俺もいつになく「感情的」だったので
申し訳なかったと先に言っておこう。

何の話でそーなっちまったかとゆーと
テーマがテーマだけに当然出てくるのは
この男

    

1月1日深夜1時から地上波デジタルの
3チャンネルで、彼のドキュメンタリーが
再放送されるそーな。

見れねー奴は年越しにコレでも読んで
「カウントダウン」しやがれ。

ヴァニシングポイント

ヴァニシングポイント

  • 作者: 奥山 貴宏
  • 出版社/メーカー: マガジンハウス
  • 発売日: 2005/04/14
  • メディア: 単行本

とりあえず追悼の場を荒らしちまった
せめてもの「罪滅ぼし」ってコトで。

どーゆー意味かは2週間後のOAで。
とりあえず「忘れるな!」


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