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Reminder #3:The Meaning Of Silence [Archives]

中途半端な沈黙にさしたる意味はない。
単にハナクソな駄文ダラダラ書き散らす
のに飽きてただけ。

沈黙は永遠に続いてこそ意味がある。
「永遠の沈黙」に勝る言葉は存在しない。
残されし者にできるのは決して語られぬ
「沈黙が持つ意味の解釈」のみ。

31歳ガン漂流

31歳ガン漂流

  • 作者: 奥山 貴宏
  • 出版社/メーカー: ポプラ社
  • 発売日: 2003/11
  • メディア: 単行本


奥山貴宏氏が沈黙に入って今日で満一年。
単に「覚えている」と言いてえ為だけに、
テメエの言葉は嘘じゃねーと証明してえ
が為だけに、またゴタク並べてみる。

言葉もノイズならば「中途半端な沈黙」も
「音のないノイズ」だ。何かしらの意味を
そこにこじつけるなら、至極単純な事実に
気付いちまったってコト。

一言で言えば、今や「言葉=情報」全てが
ノイズでしかねえってコトなのだ。

折しも先頃、やはりあの世に逝っちまった
スタニスワフ・レムはこう説いてる。

虚数

虚数

  • 作者: スタニスワフ レム
  • 出版社/メーカー: 国書刊行会
  • 発売日: 1998/02
  • メディア: 単行本


「百万人もシェークスピアがいたとしたら、
 彼らの声は結局のところ、
 大草原で野牛の群が発する声や
 海の大波が立てる音と同じような騒音、
 狂ったような喧騒になってしまう(中略)
 無数の意味がたがいに衝突しあうと、
 思考に名誉をもたらしてくれるどころか、
 逆に思考を破滅させてしまうのである。
 そのような恐るべき宿命に直面したとき、
 もはや沈黙だけが創造者・読者盟約の
 救いの方舟となるのではないだろうか?」

「シェークスピア百万人」ならまだマシで、
今や吐いて捨てるほど存在するクズどもが
「自分なりの意見」みてえなのをブログに
書きつけて中途半端な「自分探し」。

俺自身もテメエの言葉に多少なりとも
「意味めいたモノ」があるのだと思いこみ
たがってた。思い上がりも甚だしい。

全ては「前にも誰かがどこかで言ったコト」。
個性とかオリジナリティなんてありゃしねえ。
今やこの情報洪水の中じゃ「言葉=情報」の
全てが「ノイズ」でしかありえねぇのだ。

だからこそレムは沈黙を宣言し、実行した。
『虚数』については前にも書いてるのだが、
小説家であるレム自身が「物語を語りたがる」
欲望を抑えると宣言し、辿り着いたのがこの
「脱小説=メタフィクション」の境地だった。

「小説」という手法を放棄して、架空の本の
「序文」として自らの構想のエッセンスだけ
を最小限の言葉で記す手法を模索したのだ。
それが「情報洪水時代の物書きのモラル」
じゃねーのかと。

実際それまで数々の小説を著してきたレムは
『虚数』以降、沈黙の度合いを深めていった。

だからレムが死んだと聞いた時も、何の感慨
も抱かなかった。なぜならレムは死ぬ前から
「沈黙こそが最善」と達観してたのだから。
この世を去ってはじめて、その沈黙が永遠と
なっただけ。

オトシマエの付け方としてパーフェクトだ。
ここまで透徹したエレガントな帰結はない。

ヴァニシングポイント

ヴァニシングポイント

  • 作者: 奥山 貴宏
  • 出版社/メーカー: マガジンハウス
  • 発売日: 2005/04/14
  • メディア: 単行本


で、そのスタンスは最期に処女作を遺して
逝った奥山氏のいわば対極にあると言える。
はて、どちらが正しいと言えるのか…?

…とか何とか、何を隠そう、正直に告白する。
俺はそんなコト考えながら、人の死を「ネタ」
にして遊んでるのだぁ〜!!

ホントに嫌なら目ェ背けてるハズだろうし、
ホントに悲しけりゃ言葉も出ねえハズだろ?
楽しいからやってるのだ。だから他人事でも
「カメラを前に平気で泣ける」のだ。
それを「ノイズ」と言わずして何と言う?

所詮「ノイズ」だからついでに言っちまおう。
脳天気な俺はその非道な自分を全肯定する。
自分大好き!テメエに酔ってるオレ万歳!

誰かが死んだ時、それっぽく悲しんだフリして
泣いて忘れ去るのが世間一般の言う「人の道」。
そこを俺は大手を振って踏み外してえのだぁ。

例えば去年俺の身の回りじゃ、奥山氏の他にも
高校の同期が1人死んでる。

    

それほど交流が深い相手じゃなかったのだが、
仲間内で会う度、事ある毎に俺はそいつの葬式
をネタにして敢えて喋ってる。

    

「未だに謎なんだよ。アイツの棺の中になんで
 テレビのリモコンが入ってたんだろ…?」

故人が特段テレビ好きだったとも思えねえ…
大体リモコンは入ってたけどテレビはねえし…
そもそもリモコンは棺に入れても燃やせねえ…
「奇妙なリアルさ」を厳粛な死が増幅する。

それをネタにする度「不謹慎」だと言われる。
でも、それがネタにできねえぐらいなら、俺は
「不謹慎」だと糾弾されたい。

なぜなら俺には「棺の中のリモコン」だけが
そのままじゃ消え去ってしまうだろう縁遠い
故人の記憶を引き戻す道具だ。殆どの奴は
「ふざけた性根を単に自己正当化する言い訳」
だとそれを咎めるだろうけど。

でもその行為は芸能人が死んだ時に悲しげな
BGMとかかけて「誰でも死んだらいい人」に
安直に祀り上げといて、その実、「お涙頂戴」
という娯楽のネタを提供してるだけでしかねえ
ワイドショーよりウスッペラいってか?

短期的に形式主義的悲しい素振りを見せるより
いかなる形であれ、中長期的に永遠に物言わぬ
故人を「覚えてる」方がまだマシじゃねーのか?

さらに奥山氏の意思を汲み取ると(あくまでも
それは個人的「解釈」でしかないのだけれど)
実は彼もまた、語り口こそソフトでありながら
「絶望的な現実」を突きつけるコトをある意味
「楽しんでた」ような気が俺にはしてる。

レムもまた小説家としての自らの存在意義さえ
も全否定し「言葉=情報」の洪水が思考を破滅
させるという「絶望的な結論」を突きつけた。
思考を突き詰めることを楽しんでたと言える。

主旨も手法も違うが、今や完全な沈黙に入った
2人の共通点を強いて挙げるとするならば、
それは「絶望を直視する脳天気なユーモア」だ。
そこに俺は共感したのだ。

但し、彼らが突きつけた「ユーモア」ってのは
ドライでヒネリが入ってるから、「人の道」を
踏み外すのはいけませんみてえなコトをヌカし
やがる奴にゃ直視するのも耐え難い。

それゆえ奥山氏の小説を「病気をネタにする」
以外に全く中味がないと批判する奴もいりゃ、
レムを屁理屈コネ回す変人と批判する奴もいる。

    

要は「人の道のストライクゾーン」の問題だ。
受け止める人間のストライクゾーンが狭けりゃ
「ユーモア」も「ユーモア」と解釈されぬまま
ただただ忘れ去られてく。

クソ野郎な俺はそーゆー真人間が大嫌いだから
何かとゴタク並べて沈黙の意味を解釈したがる。
あーあ。野暮なコトこの上ねえハナクソな駄文
たぁ全くもってこのコトだぁ〜!!


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かものはし

こんにちは。
私も奥山さんに「私も覚えていますよ。」と言いたくて、
でも、記事は書かずに音楽を鳴らしてみました。
来年、再来年と覚えているかわからない薄情な自分のことも含めて、
記録はあったほうが良い。そんなことをふと思いました。
by かものはし (2006-04-22 17:10) 

petrosmiki

返事遅れて失礼。
なるほど「音ログ」ねえ。
そっちの方が押しつけがましくなくて
ベターだわなハッハッハ!

俺も「かものはし」さんを忘れてたワケ
ではない、ありがち偽善的返答ってコトで!
by petrosmiki (2006-04-29 09:17) 

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