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Too Much Information [Archives]

最近、仕事で使わなかったボツネタ。

    

「上から読んでも下から読んでも山本山」
の『山本山』をテープに吹き込んで逆回転
で再生したらどー聞こえるのか?
『ヤマモトヤマ』の逆で『マヤトモマヤ』
になるのか?

実は理論上は『アマヨトママイ』になる。

発音した単語を逆回転した時に聞こえるのは
元の単語のローマ字綴りを逆さにした単語だ。
だから『山本山』〝YAMAMOTOYAMA〟の
逆=〝AMAYOTOMAMAY〟ってワケだ。

この手のどーでもいい情報を視聴者の皆様は
知的好奇心を満たす知識のように思うらしく
テレビギョーカイでは「役に立たない雑学」
的どーでもいい知識=情報がここ数年ずっと
幅を効かせてる。

そんなどーでもいい情報がテレビに氾濫する
一方で「情報化社会」と呼ばれるこのご時世。
より多く情報を手にする者がより有利な立場
に立てると思われがちなのではないか?

「学歴社会」ってのも、実は学歴を持つ者が
持たざる者にはより多くの知識(=情報)を
持ってるように見えてるからこそ成立してる
んじゃねーか?

だって脳ミソにコンプレックス抱えてるバカ
ほど、ワケ知り顔で受け売りの情報をまんま
ひけらかしたり、ことさら難解な専門用語を
ひけらかすコトで、知性の無さをごまかそう
とやっきになったりするだろ?

実際「1人の人間が持つ情報量」ってのは
目に見えない。そしてそもそも疑問なのだが
果たして「知性」=「情報量」なのだろうか?

まず仮に「知性」=「情報量」とするならば
「知性」を決める最も重要な要素は「記憶力」
になるのではないか?

しかし、本屋で「驚異の記憶術」みてえな本
を吐いて捨てるほど見かけるのだが、それを
読んでるリーマンは冴えねえ奴ばっかだし、
著書自体もアヤシゲな奴ばっか。

恐らく「記憶力」を重視する時点で根本から
間違ってるのだ。「ハードディスクの容量が
最もデカいパソコンを持ってる人間こそ一番
仕事ができる人間」と主張するのと同じだし。

ガムシャラに「情報」を蓄積さえすりゃいい
ってもんじゃない。そこで考える必要がある
のは「情報とは一体何なのか?」ってコトだ。

俺の場合だと、テレビの仕事でよく聞くのは
「もう少し情報性ないの?」みたいなセリフ。
この場合の「情報」ってのは
「他人に余り知られていない情報」だ。

    

例えば「ウマの仲間にはシマシマ模様の
シマウマというモノがいる」は「情報」と
見なされない。当然誰でも知ってるからだ。

「ではそのシマウマはなぜ乗馬や競馬には
使われないのか?それは気性が荒く、家畜
には適さないからだ」ぐらいの話になると、
まぁ「情報」として成立しうる(ちなみに
コレも最近使わなかったボツネタだ)。

でもこの定義だと「情報」を客観的には
捉えられない。なぜならそこに「情報」を
受け取る側の解釈という主観的な問題が
生じるからだ。

「シマシマ模様のウマがいる」でも、
地球に初めて飛来して生命を観察する
宇宙人にとっては充分有益な「情報」に
なりうるのかもしれないのだから。

だとすると「情報」を客観的に捉えるには
一体どーすればいいのか?
ここで登場するのが「情報理論」だ。

クソテレビマンは「ネタ(=情報)がねえ」
としきりに文句を言うが、情報理論は全く
もってアプローチが逆だ。
「この世界は情報が溢れかえっている」
ことを前提とするのだ。

情報理論においては情報の最小単位
が「ビット」という単位で定義される。
「1ビット」は2進法で「0」か「1」かの
信号(=情報)を処理するコンピューターが
「0」か「1」を1回読み取る能力のこと。

言い換えれば、1つの質問に対して
「イエス」か「ノー」のどちらかを判断する
だけの情報量が「1ビット」なのだ。

確かに電話、ラジオ、そしてテレビも現代
のあらゆるメディアは、文字や音声、画像
といった「情報」を全て「0」か「1」かの
電気信号に一旦読み替えるコトによって
「情報」を伝達する。

これで「情報の量」が測れるワケだ。ちなみに…
電話が1秒間に伝達できる情報量は4000ビット
高性能ラジオの情報量は毎秒1万6000ビット
テレビの情報量は毎秒400万ビットとなる。

つまりテレビは「0」と「1」の信号に変換すると
1秒間に400万回も「イエス」と「ノー」の判別
を行ってるワケだ。ものスゴイ情報量だ。

だとすると、これまでナニゲなく見ていた
身の回りも全く違ったカタチで見えてくる。

    

『マトリックス』のオープニングじゃねえけど
例えば俺が今、目の前にしてるパソコンも
スクリーンに表示された文字や図形や色や
明暗を「0」か「1」の信号に変換してビット
に換算したら膨大な情報量だ。
(イメージが湧かねえ奴はモーフィアスに
緑のクスリもらってさっさと退場しろ)

しかもパソコンを操作してるその最中も
俺の耳は換気扇の回る音やら外で騒ぐ
子供の声を聞き取っている。
皮膚は何かに触れている感覚や空気の
流れ、その温度までも感じとっている。
舌はタバコの味を感知している。

要するに我々が知覚しうるこの世界とは
膨大な情報量で溢れかえった、混沌の
極みにある「無秩序の世界」だってこと
から情報理論はスタートするのだ。

「情報が氾濫する現代社会」だとかよく
聞くけど、実際何のことはねえ。
昔っから人間は常日頃「情報の洪水」に
さらされてきたのだ。

そしてそんな身の回りに溢れる「情報」
の殆どは実は「ノイズ」なのだ。

だって今、この瞬間も、まさに言葉通り
の意味の「ノイズ」として耳には換気扇
の音が入ってきているけど、それもまた
「情報」の1つ。そんな膨大な「情報」が
毎秒毎秒押し寄せてきているのだ。

では一方、人間はその膨大な「情報」を
処理できず手をこまねいているのか?
決してそんなコトはない。

優劣はあるが、人間は多かれ少なかれ
「ノイズで溢れかえってる無秩序」から
必要なノイズだけを即座に選び取って
「秩序」を再構築してる。

しかも特に意識もせず、膨大なノイズの
中から必要な情報だけ拾い上げられる
能力の高いコンピューターを生まれつき
持ってることになるのだ。

さらに言うと、ごく一部の限られた人間
にしか情報が手に入らなかった昔なら
いざ知らず、現代じゃあgoogleで検索
すれば、知りたい情報の大半は誰でも
平等に手に入れられる時代だ。

そう考えると、実は「知性」ってのは単に
「情報」を蓄積するコトなんかじゃなくて
「膨大な情報の中から不必要なノイズ
をさっさと捨てる」情報処理能力ってコト
じゃねーのか?

でもって何が言いたかったのかというと
立ち戻って「雑学ブーム」だ。

今のテレビ見てると、実は「雑学」って
タレントがワケ知り顔でノイズみてえな
「情報」をタレ流すだけで何となく知性
をアピールできる小道具にしか過ぎない
と思うのだ。

冴えねえリーマンが飲み屋で酒の肴に
使ったりキャバ嬢を喜ばせたりする程度
の雑学ばっかり仕入れてどーすんだ?

なんだか小児用の飲みグスリみてえに
糖分でコーティングされたキャッチーな
知識のカケラだけ楽しめりゃあホントに
それでいいのか?

例えば、さっきのシマウマのネタだけど
俺が最初にこの情報を仕入れたのは、
確か生物学者ジャレド・ダイアモンドの
この本だったと思う。

銃・病原菌・鉄〈上巻〉―1万3000年にわたる人類史の謎

銃・病原菌・鉄〈上巻〉―1万3000年にわたる人類史の謎

  • 作者: ジャレド ダイアモンド
  • 出版社/メーカー: 草思社
  • 発売日: 2000/09
  • メディア: 単行本

人類史における家畜についての話題で
「何十万種といるあまたの動物の中で
実は家畜に適しているのはほんの数種
しかない」という論旨の導入に出てきた
のだと記憶してる。

「シマウマの雑学」は単なる導入だけど
俺はこれを足がかりにこの本の全体の
論旨を今も覚えてる。

小児用飲みグスリみてえにキャッチー
な「雑学」はあくまでも入口だ。
そこから体系だった情報を知ることが
大事なのであって、雑学それだけを
仕入れて喜んでるバヤイじゃない。

だけどバカには体系だった知識を真剣
に学ぶ気などさらさらない。少々知的
な感じに味付けされた雑学を知ること
で「何か学んだ気分」に浸りたいだけ。

これもある意味で、断片化した情報の
カケラしか受け付けず、物事を体系化
して価値観を構築していけないという
「情報処理能力」の欠如だと思うのだ。

しかも一方でバカは、自分のアタマの
中味が他人より優れてると思いたがる
から「脳力」やら「右脳」やら耳障り
のいい曖昧なキーワードに飛びつく。

「IQ」やら「PQ」やら最近じゃただの
「なぞなぞ」でアタマの中味が測れる
と思ってやがる。

こうしてテレビは物事のウワッ面しか
撫でないバカを量産している。

「情報の洪水」に押し流されて思考が
停止して、ムダな情報に飛びつくバカ
ばっかりだから、俺も左ウチワで仕事
がやっていける。

そしてこの記事もボツネタ使い回して
一丁上がり。俺は笑いが止まらない。
「情報化社会」ってそーゆーコトなのだ。

【追記】

トラックバックに「情報理論」の説明の
部分に関する指摘があった。
「情報理論」における情報量の単位は
「ビット」から「シャノン」に改変されてる
のだそーな。
情報理論の確立者クロード・シャノンの
名前をとった単位名なのかな?

詳しい説明は下記を参照のこと。
http://d.hatena.ne.jp/quintia/20051021#1129867079

「どーでもいい雑学」について書いた
「どーでもいい駄文」からこーゆー指摘
で予想外に知識が深まるコトもある。
なるヘソSpecial Thanks!


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