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“あり得ない事態”には“あり得ない説明”を [Archives]

ロンドンで同時多発テロが起きたので『報道ステーション』を見る。
古館伊知郎の下ぶくれのバカヅラがさも神妙そうに事件を報じてる。

一通り現場の様子を伝えたところで「この番組は…」って
お決まりのCM前提供クレジット。
血みどろの犠牲者が映ってるが、BGMは甘ったるいコジャレたジャズ。

悪夢の大惨事もスカしたバーの「酒の肴」みてえだ。
血みどろの犠牲者が、カジるとブタの血がしたたる通好みの
ジャーマンソーセージみたく見えちまったのは俺だけか?

冗談はさておき、こんな騒ぎになってるロンドンを見たら
ちょうど今、俺が読んでる本の著者、かの地が生んだ天才
チェスタトンも天国でさぞ嘆いてるに違いない。
但し「倫理とは?」「正義とは?」なんて陳腐な次元の話じゃなくて
「美的センスがカケラもない」という意味で。

G.K.Chesterton(1874-1936)は推理小説『ブラウン神父』シリーズ
などで一般には知られてるが、「狂人とは理性を失った人間ではない。
“理性以外の全て”を失った人間のことだ」みたいな逆説的レトリック
の大家でもある。

彼が描く小説には無政府主義者のテロリストなんかも出てくるのだが
その登場人物は揃いも揃って哲学的だ。

木曜の男

木曜の男

  • 作者: G.K.チェスタトン
  • 出版社/メーカー: 東京創元社
  • 発売日: 1960/01
  • メディア: 文庫


例えば『木曜の男』(The Man Who Was Thursday)に出てくる
無政府主義者グレゴリーは「無政府主義者は芸術家だ」という。

爆弾を投げる男は、爆発によって鳴り響く稲妻の美しさの方が
不格好な巡査どものありふれた肉体なんかよりずっと貴重だと
知っているのだから…って主張だ。

もっともそれは「芸術とは何ら実用性のない無意味なモノ」って
よく言われてる前提を踏まえた上で「テロ=無意味=芸術」って
等式が結びついて初めて成立しうるジョークかも知れないが…

チェスタトンの小説の登場人物はどいつもこいつもこんな感じの
逆説的主張を展開し、事ある毎に形而上学的論争を繰り広げる。
よって彼らの行動は独自の美学に則っていて踏み外す事がなく
起こる事件は全て計画的。

だからリアルに考えると「こんな事件あり得ねーよ!」なのだが
それがチェスタトンの幻想的な筆致で描かれると、知らず知らず
読者はその不思議な世界に引き込まれていく。
その中に耽溺するのが楽しいのだ。

要するにチェスタトンの小説の中では登場人物全てが
チェスタトン独自の美学のルールに則って行動する。
怪盗も探偵も人殺しも、無政府主義者のテロリストもみんなそう。
犯罪の中にも優雅な「ルール」があるからこそ美しいのだ。

ところが、今回のロンドン同時多発テロなんか見てると
先進国も第3世界も互いに「やられたらやり返す」だけ。
「ルール」もへったくれもない。
チェスタトン的な美的センスのカケラもありゃしないのだ。

求む、有能でないひと

求む、有能でないひと

  • 作者: G.K. チェスタトン
  • 出版社/メーカー: 国書刊行会
  • 発売日: 2004/02
  • メディア: 単行本


チェスタトンは数多くのコラムも残しているのだが、
この本の中でも面白い逆説的ルールを説明している。

「あり得ない事態が起きた時は
 あり得ない例外的な説明が好ましい」ってルールだ。

例えば、真夜中に隣の住人が玄関ではなく天窓から
我が家に入って来たのを見つけたとする。
もしや、我が家の財産を盗みに来たのではないか?

こんな“あり得ない事態”の時、隣人の釈明は例外的な
“ありえない説明”であって欲しいとチェスタトンは言う。
「飛行機から屋根に落ちた」とか
「狂犬に追いたてられて屋根に逃げ昇った」みたいな。

ところが…そうではなくて、隣人が物欲しげな目をして
こう口走ったとする。
「結局、財産が何だというのだ…」
「なぜそんなモノに執着するのだ…」

こんな“あり得る説明”は興ざめだ。
悪夢が「夢」であってほしいのに「現実」になっちまってる。
これもやっぱり美的センスのカケラもない。

4年前にも似たような“あり得ない事態”が起きたのだが
その時は「悪の権化のテロリストがアメリカを襲ってきた」
なんて、宇宙人が地球侵略にやってくるB級SF映画みてえな
“あり得ない説明”があって、とりあえず世界は納得した。

でもそれが4年の歳月を経てどーなったか?
“あり得ない説明”に次々とボロが出てきて、悪玉は根絶やしに
なったハズなのに“あり得ない事態”は改善どころか悪化の一方だ。

てゆーか“あり得ない事態”は大いに“あり得る事態”だった事が
白日の下にさらされちまったのだ。

でも“あり得る事態”だとすると、今度はとことんまで突き詰めた
正確な“あり得る説明”が必要になるハズなのだが、多分G8で
集まってる指導者どもからはその説明はないだろう。

ホントは各国首脳がそんな不十分な説明しかしてないコトこそ
“あり得ない事態”なのだけど、だとすると、これに対して
万人が聞いて納得する“あり得ない説明”って、一体何なんだ?

ややこしくなってきた。話が観念論的で堂々巡りしている。
チェスタトンもいない現代、そんな巧妙な釈明は恐らく誰にも
考えつかないだろう。

凡人の俺にも何となくわかるのは、もはや空爆をかけるような国も
首をすげ替えるような悪玉指導者も存在しないから、やり場のない
怒りと悲しみだけが増幅され続けるってコトだけだ。

大いに“あり得る事態”がもたらす大いに“あり得る展開”。
ルールの破壊がもたらした現実は、余りに陳腐で救いようがない。
こんな時は現実逃避が一番だ。『ブラウン神父』の続きでも読もっと。


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