SSブログ

I'm Coming Out [Archives]

ずっと隠していた事がある。
誰にも言わずにいたけど、勇気を出して書いてみる。

俺には「もって生まれた欠陥」がある。
多分、大多数の人間には理解してもらえないだろう。
そしてそれが為に、俺は不幸な人生を生きている。

実は俺は…ずっと「アイドル」になりたかった。
そう、堂本光一みたいな。
それが「運命」だと信じて疑わなかった。
ステージで若い女の子たちの黄色い歓声を受ける
自分の姿こそが、心から望んでいた未来だった。

でも俺には一生、その夢は叶わない。
ジャニーズ事務所に入るには頭蓋骨がイカツ過ぎる…
頭頂部は20代前半で薄くなった…
歌を歌っても甲高い声が他人を逆撫でする…
ダンスを踊りたくても梅雨時はヘルニアで腰が痛む…

俺の心は「アイドル」になる事を宿命と感じてるのに
もって生まれた体がそうなってない。
「心」と「体」が一致してないから心底苦しんでるのに
そんな俺の悩みを誰もわかってくれない。
一体なぜ俺は「アイドル」にはなれないんだろう…

…みたいな悩みをもし俺が持っていたとしてだな、
その悩みをさらに延々と書き殴り続けたら
しまいにゃ「フザけるな」とハリ倒される事だろう。

でも最近の社会的トピックでどーしてもこれと似た
違和感を感じてしまうモノがある。

「性同一性障害」ってそんな深刻な問題かぁ?

何年か前に『金八先生』で上戸彩が「性同一性障害者」の役を
演じて以来、既にかなり認知されてる「病気」だ。
現実に医学的にも公的にも「遺伝性の障害」だとされている。
当事者じゃなきゃわからない精神的苦痛もあるのだろう。

でもメディアでこの問題がことさらシリアスに取り上げられる度に
「何かがおかしい」と俺は感じてしまう。

多分そう感じる理由は、ニュースやドキュメンタリーでの
この問題の取り上げ方に原因がある。
この手の番組は大抵が性同一性障害者のカミングアウト
を全面に押し出して「遺伝性の病気」だとしきりに訴える。
「病気だから差別はいけません」みたいな。
その紋切り型の論調がどーにも鼻持ちならないのだ。

「病気です」「遺伝です」「生まれついてなんです」
今、持ち出されると最も異論を言いづらいキーワードだ。
ツラそうなのはその様子から充分に察せられるんだけど
テレビ画面から深刻な顔で訴えられれば訴えられるほど
建前的に「深刻な問題で言葉もありません」と思いつつ
一方で「だから何だと言うのだ?」って感情がわき上がる。

いつもそこから先の答えがない。悩みの根幹は「病気」
じゃなくて「うまく行かない人生」にあるんじゃねーか?
率直に言うと、ホントは「病気」は「うまく行かない人生」
のスリ換え的言い訳じゃねーか?と思えてしまうのだ。

例えば俺は鬱になった事がある。
鬱ってのも、見た目は他人にわからない。
他にも頭痛や腰痛とか見た目じゃわからん病気は多い。
それもなりやすい体質となりにくい体質があったりする。
遺伝的な側面もあるって事だ。

先天的かも知れねえし、後天的かも知れねえ。
でも病気が「先天的」だったら、大手を振って歩けるのか?
裏返して言えば、例えば「後天的」に同性愛とかを楽しむ
人間なんかとは一緒にしちゃいけませんって事なのか?

俺の知り合いには何人かゲイもいる。
「gay」=「陽気な、はなやかな」って辞書の定義通りで
まったくもって屈託のないハッピーな奴らだ。
冗談で「このオカマ野郎!」と言うと
お約束で「オカマの何が悪いのよっ!」と笑わせる。

子供の頃は悩んだかも知れねえし、イジメに会った事も
あるかも知れねえけど、その面影は伺い知れない。
あの「開き直り」的なしたたかさやテンションにゃ勝てねえ。
俺にはその嗜好が先天的か後天的かはわからねーけど
そんな事、別にどーでもいいと思うのだ。

性同一性障害と同性愛を誤解してると言われるかも
知れねえけど、違いより類似点を俺は重視したい。
①遺伝的要素のあるセクシャリティーの問題で
②社会の偏見にさらされるマイノリティーだけど
③どっちも五体満足で、日常生活に重大な支障はない
違いうんぬんを言い出すのはナイーブ過ぎねーか?

目に見えてわかる身障者だって、幸せに暮らしてる
ケースは多々ある。それに比べりゃ性同一性障害者
が取れる選択肢は多い。

隠そうと思えば隠し通す戦略も取れる。
思い切りカミングアウトして開き直る手もある。
戸籍の性別の変更とかも可能になってきてる。
したけりゃ性転換手術だってすりゃあいい。
日本が無理なら海外でもできる事だし。

そもそも性的なマイノリティーって「弱者の論理」で
「社会の偏見」とかにナーバスに反応したりするけど
人類史上、今の時代ほど「多様化した性」が大らかに
認められてる社会は無いんじゃねーか?
周りはそれほど気にしちゃいない。他人の視線が
気になって仕方ないとしたら自意識過剰じゃねーか?

逆に「遺伝」を全面に押し出して運命を呪えれば
気が晴れるのかな?問題が解決するのかな?
遺伝的に若くして命を奪われると決まってるとか
もっと酷な条件を背負ってる人間がいるって事を
考えた事ねえのかな?

やれ「遺伝」「遺伝」と口にするテレビでありがちな
性同一性障害のカミングアウトに耳を傾けてると
どーにもそんなツッコミがしたくなる。
「遺伝子」が重要なら、医学的には性同一性障害と
認定されうる遺伝子の持ち主の中にも、楽しい人生
を謳歌してる人間だってそれ相当いると思うのだ。

なのにこの手の番組はそっちは殆ど取り上げない。
なんだか有無を言わせない説教臭さがある。
一番「病的」なのはその報道スタンスだ。

結局、何かを考えてるフリして実は何も考えてない
ありがちなメディアの論調が社会の意識を偽善的
でウソくさい方向に歪めてるのだ。

ジャーナリズムうんぬんと正義感を振りかざしながら
実際のところは無意識に「面白い見せ物」を視聴者
に晒して嬉々としてる現実をクソジャーナリストども
が全く認識してない事こそが真の「病巣」なのだ。

それが「病気の事は言わないようにしましょう」的な
風潮につながって、言うべき事も言えなくなる。
メディアはバカだからそうやってテメエの首を絞める。
社会の為にもならなきゃ、悩んでる性同一性障害者
の為にもならない。

とどのつまり、テレビで深刻そうにカミングアウトする
性同一性障害の人たちって、悩みは解決しない上に
メディアでさらし者にされる「二重の苦痛の犠牲者」
なんだと思う。そこがまた、見ててイタイのだ。

そしてかくゆー俺もこんな考えを「カミングアウト」
しちまうもんだから、また白い眼で見られたりする。
でも仕方ねーじゃん?
俺だってそーゆー事言わずにいられない衝動が
抑えきれない「病んだ人間」なんだから。そして
それが「アタマのおかしい」俺の特権でもあるのだ。


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(4) 

nice! 0

コメント 0

トラックバック 4

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。